大阪地方裁判所 昭和41年(行ウ)119号 判決 1976年5月24日
原告 服部博
被告 大阪国税局長
訴訟代理人 高橋欣一 勝谷雅良 ほか七名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一 請求の原因第一項記載の事実〔編注:天王子税務署に勤務し、全国税労働組合東大阪支部天王子分会書記長である原告が、昭和三八年六月二八日付で懲戒免職処分に付された事実〕及び原告が本件免職処分について、人事院に対し不利益処分審査請求をなしたが、昭和四一年八月五日原処分を承認する旨の判決がなされたことは、当事者間に争いがない。
二 以下、被告の原告に対する本件免職処分の適法性について判断する。
1 基本的処分事由の存否について
(一) 昭和三八年三月二三日の事実について
<証拠省略>を総合すると、次の事実が認められる。
天王寺税務署にあつては、従前、納貯係の後記職務内容は、徴収課管理係の職務の一部として担当処理されていたが、昭和三六年七月ごろ、納貯係が右管理係から係として独立し、新たに吉村係長以下原告、小池及び細川各係員の合計四名の構成で発足したこと、納貯係の職務分掌は、主として納貯組合及び同組合員の指導育成、同組合の普及、同組合員の滞納整理並びに納税表彰事務であつたこと、国税庁当局の指示に基づき、昭和三六、三七年の両年にわたつて実施された納貯組合員の倍加運動の結果、同三八年三月ごろ天王寺税務署管内の同組合員数が増加し、これに比例して納貯係の担当する滞納件数も相当数増えたが、反面、同署徴収係(以下単に徴収係という)の滞納整理件数が減少し、両係の係員一人当りの滞納整理件数に相当の開きが出、納貯係が徴収係の約二倍近く担当するようになつたため、同年三月二三日午前九時三〇分ごろ、横山課長は部下の吉村係長及び荻田徴収第一係長を自席に呼び、右事務量の不均衡を是正する方策を検討したこと、その結果、(イ)納貯係と徴収係の事務量を比較する種々の係数を集める、(ロ)その係数に基づいて再検討する、(ハ)とりあえず納貯係担当の滞納の中で、処理困難なもの、あるいは猶予等の繰返しで悪質なもの等は徴収係へ移管すべき旨を定めた大阪国税局通達(以下、移管通達という)どおりに移管するとすればそれに該当するものがどの程度あるか把握する、との三点を決定し、同日午前一〇時一五分ごろ右打合せを終えたこと、一方、原告は、同日午前九時ごろから自席で新聞を読んだり大声で隣席の細川納貯係と野球のことや新聞紙上に掲載の記事等について話をしたりして執務していなかつたこと、このような原告ら納貯係員に対し、同日午前一〇時二〇分ごろ、吉村係長は、原告らの席の前に行き、「君らの分担している滞納のうちで処理困難なもの、あるいは猶予等の繰返しで悪質なもの等で徴収係へ移管を適当とするものをより出して僕の手元まで報告してほしい。」と移管通達に基づく処分票の選別抽出を命じたこと(この点、当事者間に争いがない)、しかるに、原告は、「そんなことやるんやつたら、まず徴収係の平さんと話合いをして納得させてからでないとやつたらあきまへん。」と反ばくしたので、吉村係長は、「それは課長、係長で話合つてそのうえで我々の責任において実施することやから君らは処分票の抽出をやればいいんだ。」と、原告の意見を取り上げ得るものではないことを説明して重ねて命じたこと、原告は、「小池さんが今日休んでいるのやし、月曜日に係で打合せをやつてからやつたらよろしいがな。」と反論し、右命令に従おうとしなかつたこと、吉村係長は、「小池君には自分から伝える、君は言われたことをやればいいんだ。」と繰返し命じたが、「徴収係の平職員の同意なしでそんなことをやつたら絶対あきまへん。」と答え、右命令に応じようとしなかつたこと、これに対し、吉村係長は、「それは課長、係長の話合いで決めることで、君らが口出しすることはいらへん。課長がやれと言えばやらなあかん、僕は君に処分票の抽出をせよと言つてるんやから、それをしなさい。」と、原告の意見が取り上げ得るものでないことを再び説明し、繰返し、処分票の抽出をするよう命じたこと、しかるに原告は、なおも、「命令でやらせる言うんでつか、そんなら命令を出してみなはれ、命令出したらよろしいがな。」と、あくまで不服従の態度を示したこと(原告が吉村係長の命令に従おうとしなかつたことは当事者間に争いがない。)、吉村係長は、「納貯係の分担滞納が非常に増えているので、その事務量軽減のための第一段階として前記移管通達で指示されている移管該当滞納の件数を把握したい」旨事情を説明し、重ねて処分票の抽出をするよう命じたが、原告はこれにも応ぜず、さらにその後も同一一時二〇分ごろまで自席で新聞を読んで全く執務をしなかつたこと、同一一時二〇分ごろから原告は執務したが、その内容は、右命令と異り処分票と計画整理実績簿の整理をやつたにすぎないこと、一方、細川納貯係も、原告と同様吉村係長の右命令に服しなかつたが、同日午前一二時五分前ごろ、ようやく右命令に従つて処分票の抽出提出を行つたこと(原告は、同月二五日午前九時ごろ、再び吉村係長から前同様処分票の抽出提出を命ぜられたので、同九時一〇分ごろ、ようやく命令どおり処分票を抽出提出したこと)、
以上の事実が認められ、右認定に反する、<証拠省略>は、前掲各証拠に照らしてたやすく信用できない。
もつとも、<証拠省略>(原告の計画整理実績簿)によれば、昭和三八年三月二一二日(土)の事務内容欄に「<1>〇・五」との記載があり、他方、<証拠省略>によれば、もともと計画整理実績簿は、納貯係が納貯組合員の滞納処理状況について、毎日逐一記入し、上司に提出して決裁印を受け、もつて日々の処理状況を明確ならしめるために作成される帳簿であることが明らかであるから、これらを総合すると、原告は、昭和三八年三月二三日正常に土曜日の半日勤務についていたことを推測しえなくもないが、<証拠省略>を総合すると、原告は、再三にわたり吉村係長及び村田、横山各課長から計画整理実績簿を日々整理記入し上司に提出するよう命ぜられたにもかかわらず、これを無視して、昭和三七年五月ごろから同年一二月までの間、ほとんど提出することなく、かつ、この間、同実績簿自体四半期ごとに改帳することを大阪国税局通達によつて義務付けられているにもかかわらずこれを行わず、同三八年一月以降においても、三日ないし一〇日分をまとめて記載し提出していたこと、ところで、昭和三八年五月上旬ごろ、大阪国税局管理課長の事務視察が行われることとなつたが、原告の右実績簿は、同三七年四月から同年一二月分まではほとんど記載がなく、また同三八年一月からの分についてはその記載が不備であつたため、吉村係長の指示に基づき、原告が右期間中職務の遂行に努めていたかのような外観を整えるために適当に記載し、上司の決裁印が押印されていない個所には吉村係長印、村田及び横山各課長印を押印(村田課長は、当時すでに淀川税務署へ配置換になつていたので、吉村係長が、同課長から円形印を借用して押印した)し、原告の計画整理実績簿が、局通達どおり日々記載のうえ上司に提出されていたかのように体裁を整えたこと、したがつて、原告の右実績簿は、後日、適当にその不備を補つたため、昭和三七年八月二〇日、実際には年次休暇をとつているのに、右実績簿には当日出勤して執務したように記載され、反対に同三八年四月四日には年次休暇をとつていないのに右実績簿には半日の年次休暇をとつたように記載されていたり、また、同三七年五月二七日及び同年一一月五日の日曜日にまで上司の決裁印が押印されたり、さらに、同年六月一六日、同月一八日、同年七月三一日、同年九月三日、同月一一日、同年一一月五日等には、現実に租税債権につき処理がなされているのに、右実績簿にはその記載のないことが認められるところである。
右のように、原告の計画整理実績簿が後日適当に補充作成され、かつ、その記載内容も全く不正確きわまりないものであることが明らかであるから、右実績簿の昭和三八年三月二三日の事務内容欄に原告が平常どおり勤務したかのような記載がなされていても、右記載はたやすく信用できないところであり、右実績簿の存在も前認定の事実を左右するものではない。
ところで、<証拠省略>を総合すると、昭和三八年三月当時、納貯係の実施担当の職務内容は、毎月立案作成される事務計画にのつとつて行われていたこと、右事務計画案は、係長が前月の末に翌月分を策定し、当月初めに係員全員に示し、係員の意見を徴して一応の案を作り、最終的には署長決裁を得て各人の分担事務を確定していたこと、右事務計画の具体的内容が確定されると、各係員はその方針に従つて自主的に事務処理を進めていくことになるが、係長ら職制は、部下職員の事務につき、事務計画の方針に副つた処理がなされるよう監督指導していくのを原則としているが、他に緊急あるいは必要な事務が発生した場合には、右計画案とかかわりなく、口頭あるいは文書で職務の執行を指示し、係員においてこれを処理してきたことが認められるところである。
もとより、右事務計画案なるものが、法律上作成を義務づけられ法的拘束力を付与されたものでなく、事柄の性質上、単に税務処理をより円滑に能率的に行うための方法としてとられたにすぎないものであるから、他に緊急必要な事務あるいは事務処理上より効率をあげうると判断されたものについては、職制は、右計画案とは別個な事務を部下職員に命じうるのであり、右職務命令が適法である限り、その部下職員はこれを拒否しえないことはいうまでもないところである。したがつて、吉村係長の命じた処分票の抽出提出命令が、昭和三八年三月分の原告の事務計画案になかつたとしても、右処分票の抽出提出が、納貯係と徴収係の滞納処理件数の平均化を図る前提として必要であり、これによつて滞納整理並びに徴税事務の円滑化に役立つものであり、しかもその職務命令の決定も、単に納貯係長の一存でなく、徴収課長を初め同課の職制の合議によつてなされているのであるから、原告ら納貯係員は、他の係と相談すべきであるとか、緊急性がない等といつた理由でこれを拒否しえないといわなければならない。加えて、当日、納貯係員が欠席し、納貯係全体として、移管通達に基づき徴収係に移管すべき滞納件数の把握が後日になるとしても、このこと自体、原告が、当日における前記吉村係長の職務命令を拒否しうる正当な理由になりえないことはいうまでもない。
以上のとおり、原告が、午前九時ごろから同一一時二〇分ごろまで全く執務しなかつた事実は国公法一〇一条一項に違反し、また、この間、同一〇時二〇分ごろ吉村係長から繰返し処分票の選別抽出を命ぜられたにもかかわらず、これに従わなかつた事実は同法九八条一項に違反し、これらが、いずれも同法八二条一号及び二号に該当することは明らかである。
(二) 昭和三八年四月四日の事実について
<証拠省略>によれば、次の事実が認められる。
昭和三八年四月四日午前九時ごろ、原告は、自席で労組関係書類綴を読んだり、何事か記入したり、あるいはわら半紙や大判大学ノートにメモしたりしていたこと、このような原告を含む納貯係全員に対し、吉村係長は、同一〇時ごろ、自席から、「みんな昨日の打合せで言つたとおり、時効関係の整理を至急やつてんか、時効を完成させるようなことがあつたら、我々の責任やから絶対そんなことのないようすぐ手を打つてほしい、約束どおり今日からすぐ出張して処理してんか」と指示したが、原告はこれに従わず、引き続き前記労組関係書類綴を読んだり、何事か記入したり、あるいはわら半紙や大判大学ノートにメモしたりして同一二時ごろまで全く執務しなかつたこと、一方、小池、細川両納貯係は、交々、「午前中は、内で整理する仕事がありまつさかいに昼から出まつさ」と答え、午前中は署内で執務し、午後に出張したこと、ところが、原告は、午後一時一五分ごろからも、自席で午前同様前記労組関係書類を読んで執務せず、同二時ごろには労組関係の謄写版原紙切りを始めたので、吉村係長は、自席から直ちに、「服部君、業務外の仕事をせんと昨日の打合せどおり時効関係の出張をせんか」と、午前中同様再度出張するよう促したが、原告は、「今日は出張できまへんねや」と、不服従の態度を示したので、吉村係長が、重ねて、「出張できまへんのやでなく、出張せなあかんやないか」と、再度指示に従うよう命じたにもかかわらずこれを無視して従わず、前記謄写版原紙を同二時一五分ごろまで切り続け、さらにその後も同四時ごろまで自席で午前中と同様に前記労組関係書類綴を読んだり整理したり、大判大学ノートに記入したりして全く執務しなかつたこと、そして、同日午後四時ごろ、「これから選挙の補充選挙人名簿の登録に区役所に行かしてもらいまつさ」と、いつて退庁したこと、
以上の事実が認められ、右認定に反する<証拠省略>は、前掲各証拠に照らしてたやすく信用できないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
もつとも、<証拠省略>によれば、昭和三八年四月四日、吉村係長は、味原へ普及のため、また原告は上汐へ滞納処分のため、それぞれ日帰り出張をして、両名とも、当日天王寺税務署に不在であつたことを窺わせるが、<証拠省略>を総合すると、昭和三七年五月以降同三八年三月までの間、天王寺税務署における係員の出張旅費は、出張の実績とは関係なく、各人に同額を支給していたものであり、同じく係長以上の旅費も、同三七年五月以降同年一二月までは係員と同様で、同三八年一月以降同年三月までの間は一部実績を加味した平等配分方式をとつて支給していたこと、そのため、右旅費支給に必要な旅行命令等決議簿には、係員及び係長以上の者の分についても、右のような旅費支給を行うため、当局から割当指示のあつた旅費金額に満つるまで出張を行つたよう適当に記載をなしていたこと、納貯係にあつても、右同様、吉村係長が、原告を含む係員について、月末もしくは翌月初めに一括して適当に出張の事実を右旅行命令等決議簿に記載していたこと、ところで、このような実績に基づかない旅費の支給については、藤木署長は実績による支給に改めるべく、昭和三八年四月以降全署的に完全に実施しようとし、同月以降、係長以上については、ほぼ実績を原則とし、これに一部平等配分を加味するようになつたが、係員については、天王寺分会の是正阻止行動に会つて実現せず、同月以降も従前どおりの支給がなされていたことが認められるところである。
右事実によれば、原告及び吉村係長の前記旅行命令等決議簿は、旅費支給金額に応じて適宜記載されたもので、原告及び吉村係長の出張の実態に即して記載されたものでないから、<証拠省略>も前記認定を動かすものではない。
また、<証拠省略>(原告の計画整理実績簿)によれば、昭和三八年四月四日の事務内容欄に「<G>〇・五年休〇・五」との記載があり、当日原告が半日正常に勤務し、半日休暇により欠勤したかのように解されるが、前認定のとおり<証拠省略>の記載内容自体信ぴよう性が薄いのみならず、<証拠省略>(原告の出勤簿)によれば、同日、原告が休暇をとつていないことが明らかであるので、これらを勘案すると、右計画整理実績簿の記載もたやすく信用できず、右記載の存在も前認定を左右するものではない。
ところで、原告は、吉村係長の出張の指示を職務命令として理解していなかつた旨、換言すれば、出張命令は存在しなかつた旨主張するが、前認定の事実によれば、吉村係長が、原告ら納貯係員に対してなした、出張して租税債権の滞納処理をするようにとの指示は、正式に「職務命令」であると明示されてなされたものでないとはいえ、その指示内容からして単なる事務処理上の示唆に止まらず、右滞納処理のための出張を命じた職務命令であると容易に解しうるのであつて、原告が(原告は、後記のとおり全国税労組の役員として一般の人以上の判断能力と指導力を有している)これを職務命令と理解しなかつたとは、到底解することはできない。
また、原告は、右職務命令は、同年四月分の事務計画方針に反する旨主張するが、その主張内容からしても、右計画方針には納貯組合員の滞納整理も含まれているところであるから、その手段方法として出張による滞納処理を命じることは、右事務計画方針に反するものではないし、仮に、右計画方針に、出張による滞納処分が含まれていないとしても、原告の上司である吉村係長が、当然のことながら納貯係の本来の職務である滞納整理につき職務命令を出しうること、したがつて原告がこれを拒否しえないことは前認定のとおりであるから右主張も理由がない。のみならず、吉村係長が、小池、細川両納貯係の意見を容れ、両名の出張を午後からにしたからといつて、原告に対する前記出張命令中、午前中の命令を撤回したと解することもきわめて困難である。
次に、原告は、当時組合のビラ作成といつた組合活動は、勤務時間内といえども当局から許容されており、仮に、これが許されないとしても、当時、当局の不当労働行為が行われ、組合との関係が緊迫した状態にあり、このような状況のもとでは、勤務時間内の組合活動は許容さるべきである旨主張するが、後述のとおり、組合ビラの作成を含め勤務時間内の組合活動を当局が承認し、あるいは労働慣行上許容されていたとは認められないし、また、当然正当とされるものとも解されないから、右事実をもつて、吉村係長の職務命令を拒否しうる正当な理由となりえない。
以上のとおり、原告が、午前九時ごろから同一二時ごろまで及び午後一時一五分ごろから同四時ごろまで全く執務しなかつた事実は、国公法一〇一条一項に違反し、また、この間午前一〇時ごろ及び午後二時ごろ、吉村係長から繰返し滞納整理のため出張を命ぜられたにもかかわらずこれに従わなかつた事実は、同法九八条一項に違反し、これらがいずれも同法八二条一号及び二号に該当することは明らかである。
(三) 昭和三八年四月九日の事実について
原告が、少くとも、昭和三八年四月九日午前九時二〇分ごろから同九時四〇分ごろまでの間、組合ビラを作成していたこと、同日、勤務時間中に、原告が仕事の合間に明坂サドル製作所労働組合の闘争資金カンパ員と応接し、また三嶋課長と話をしたこと及び食事時間帯の物品販売活動に従事したことは当事者間に争いがない。
<証拠省略>に、右争いのない事実を総合して考察すると、次の事実が認められる。
昭和三八年四月四日ごろ、納貯係では、同月一〇日までに納貯組合員の現況を報告するよう国税局から命ぜられていたので、これに対処するため、吉村係長は一人別照合カード約五、〇〇〇枚を作成するとともに、原告ら納貯係全員にこれに伴う作業手順等を指示説明し、同カードに納貯組合台帳に載つている組合員(約五、〇〇〇名)を記入し、これを管理係の索引簿と照合して国税有資格者を抜き出し集計するという作業を進めさせたのであるが、納貯係だけでは処理できる作業量でなく、かつ、原告が、同月五、六日の両日休暇をとつたので、徴収係から延約七人の応援まで求めて作業を進めたにもかかわらず、報告期限の前日である同月九日になつても集計事務が残つていたこと、同日、原告は、午前九時ごろから自席で労働関係書類綴を読んだり、わら半紙にメモしたりしていたが、同九時二〇分ごろから自席で「全国税天王寺分会速報(偽装閉鎖による全員解雇に反対して斗う明坂サドル製作所労組の行商カンパに御協力をと題するビラ)」の謄写版原紙を切り始めたので、同九時二五分ごろ、吉村係長が、自席から原告に対し、「服部君、私用の仕事はやめなさい。今やつている仕事(一人別照合カードの集計事務)は急ぐ仕事だから、本来の仕事をやりなさい。」と命じたが、原告は、「やります。」と答えながらも、一向に原紙切りを中止しようとしなかつたこと、そこで、吉村係長が重ねて、「服部君、急ぐ仕事だからすぐやりなさい。」と命じたにもかかわらず、原告は依然として原紙切りをしながら、「その方も急ぐか知らんが、こつちも急ぎまんねん。お客さんも来ることになつているし。」と返答し、同九時三〇分ごろまでこれを続けたこと、次いで、原告は、この原紙を使用して、同署一階事務室内に設置されている同署の謄写版で、青色、赤色、黄色の三種類の紙に印刷を始めたこと、これに対し、吉村係長が、自席から直ちに、「服部君、何やつているんや。」とただしたところ、原告は、両手指先で約一〇センチ四方位の四角形を描いて、「これ刷つてまんね。」と返答したので、吉村係長が、「すぐやめて仕事をしなさい。」と重ねて命じたが、これに従わず、同九時四〇分ごろまで印刷を続行し、その後も引き続き同一一時ごろまで明坂サドル製作所労組の闘争資金カンパ員二名と談合したり、あるいは同署宮本事務官(当時天王寺分会副分会長)とともに、三嶋課長に抗議に行つたり、自席で労組関係書類綴を読んだりメモしたりして、執務しなかつたこと、さらに、原告は、同一一時三〇分ごろからも、自席で前記労組関係書類を読んだり、メモしたりして執務をしなかつたが、同一一時五〇分ごろから自席で新聞二ページ大の模造紙に墨汁と筆を使用して掲示用ビラ(内容は縦書で、「西成区の明坂サドル製作所の争議で偽装閉鎖による全員解雇と闘つている同労組の資金カンパに応援してやつてほしい、チユーインガム二〇円、チヨコレート五〇円」という意味のもの)を作成し始めたこと、それに対し、横山課長が自席から、「業務外のことは時間外にやりなさい、そんなビラ書きは服部君やめなさい。」と命じたにもかかわらず、原告はこれを無視してビラの作成を続け、同一二時ごろ、出来上つたビラを持つて離席したこと、
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
もつとも、<証拠省略>によれば、原告の計画整理実績簿の昭和三八年四月九日の事務内容欄に「<1>〇・五、年休〇・五」との記載があり、原告が同日、半日の正常勤務に服し、半日休暇をとつたことを窺わせるが、前説示のとおり、<証拠省略>(原告の右実績簿)の記載自体信用性に乏しいもので、にわかに措信できないし、これと符合する原告本人の供述も、また、たやすく信用できないから右各証拠の存在も前記認定を動かすものではない。
ところで、原告は、勤務時間内の組合活動、ことに組合のビラ作成は、当局から承認され、あるいは労働慣行上認められたものであるし、また、それ自体許容さるべきものであるから、原告に服務規律違反、職務命令違反はない旨反論するが、後記認定のとおり、その主張にかかる勤務時間内の組合活動は許されるものではないから、右主張は理由がない。
以上のとおり、原告が、午前九時ごろから同一一時ごろまで執務しなかつた事実及び同一一時三〇分ごろから同一二時ごろまで執務しなかつた事実は、国公法一〇一条一項に違反し、かつ、この間、同九時二〇分ごろから同九時四〇分ごろまで組合活動を行つた事実は、当時施行の人事院規則一四-一、三項に違反し、また、午前九時二五分ごろ及び同九時三〇分ごろ吉村係長から繰返し一人別照合カードの集計事務を命ぜられたにもかかわらず、これに従わなかつた事実並びに同一一時五〇分ごろ横山課長から執務するよう命ぜられたにもかかわらず、これに従わなかつた事実が、国公法九八条一項に違反し、これがいずれも同法八二条一号、二号に該当することは明らかである。
(四) 昭和三八年五月一三日の事実について
原告が、昭和三八年五月一三日午前九時ごろから同九時三〇分ごろまでの間、被告主張のとおりビラの印刷及び配布をしたことは当事者間に争いがない。
右争いのない事実に、<証拠省略>を総合すると、次の事実が認められる。
原告は、昭和三八年五月一三日午前九時五分ごろ出勤し、直ちに持参した青色の風呂敷包より、「全国税天王寺分会速報情宣部一七六三、五、一三(超勤旅費アンケートの集計と題するビラ)」の謄写版原紙を取り出し、前記謄写版を使用して印刷を始めたこと、これに対し、同九時一〇分ごろ、吉村係長が自席から、「服部君、何刷つてんねん。」とただしたところ、原告は両手指先で約一〇センチ×二〇センチ位の四角形を描いて、「これ刷つてまんねん。」と返答したので、吉村係長が、「すぐやめなさい、勝手な仕事をせず、決められた仕事にかかりなさい。」と命じたにもかかわらず、原告は、「すぐ終ります。」と言いながら、印刷を中止しなかつたこと、そこで、吉村係長は、「朝、出勤時間に遅れて来て、しかも勝手なことをやるとはいかんやないか、すぐやめて席に戻りなさい、やることになつている仕事をやりなさい。」と重ねて命じたが、原告は、「わかつてますがな、やりますよ。」と答えながらこれに従おうとしないので、さらに、吉村係長が、「やめよと言つたらやめんか、直ちに席に帰り仕事をやれ、やめると言いながらやめてないじやないか。」と大声で繰返したが、原告は、「大きな声を出さんでもよろしいがな。」とこれを無視して従わなかつたこと、さらに同九時一五分ごろ、分会執行委員森村篤二がこの印刷に加わつたので、横山課長が、直ちに原告の側に行き、両名に対し、「自席に帰り、仕事をしなさい。」と命じたが、「そんなにやかましく言いなさんな。」等と返答して、同課長から、「勤務時間中は職務に専念すべき義務があるんだ、組合関係の印刷をすることは義務違反になる、だから注意しているんだ。」と繰返し命ぜられても、原告は、「課長はそんなことを言うが、食事の時間にしろ、係長のところに私用のお客さんも来て話をしているではないか、それらも義務違反になりますかなあ。」等と言つてその命に従わず、同九時二五分ごろまで印刷を続行したこと、そして、原告は、刷り上げた右ビラを同九時三五分ごろまで同署一階事務室内間税課及び総務課職員に配布して執務しなかつたこと、
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
ところで、原告は、組合ビラの作成は、勤務時間内といえども当局から許容されていたし、また、組合活動としても当然許されるべきものであるから、右原告の組合ビラの作成及び配布行為は何ら違法はない旨主張するが、後記認定のとおり、右組合活動は許されるものではないから、右主張は理由がない。
以上のとおり、原告が、午前九時五分ごろから同九時三〇分ごろまで組合活動を行つて全く執務しなかつた事実は、国公法一〇一条一項及び当時施行の人事院規則一四-一、三項に違反し、かつ、この間、同九時一〇分ごろ吉村係長から、同九時一五分ごろ横山課長から、繰返し執務するよう命ぜられたにもかかわらず、全くこれを無視して従わなかつた事実は国公法九八条一項に違反し、これがいずれも同法八二条一号及び二号に該当することは明らかである。
(五) 昭和三八年五月一八日の事実について
原告が、昭和三八年五月一八日午前九時ごろから同九時三〇分ごろまでの間、被告主張のとおり組合ビラの印刷及び配布をしたことは当事者間に争いがない。
右争いのない事実に、<証拠省略>によれば、次の事実が認められる。
昭和三八年五月一八日、原告は、午前九時ごろから離席して、森村篤二とともに謄写版を使用して、「全国税天王寺分会速報二四号情宣部一九六三、五、一八(今年の賃上げ斗争の第一歩今日の賃金要求アンケートを行いますと題するビラ)」の印刷を始めたこと、これに対し、吉村係長は、同九時五分ごろ、自席から「服部君すぐ印刷をやめて仕事にかかりなさい。」と大声で命じたが、原告は、「わかつてます。」と言いながらも印刷を続けたこと、そこで、さらに同係長が、「聞えたらやめんか、すぐやめて仕事をしなさい。」と重ねて命じたにもかかわらず、原告はこれに従わず、森村篤二とともに印刷を続行したこと、そのため、吉村係長は、三嶋課長に右事実を報告するとともに、同課長からも原告らに注意するように求めたこと、そこで、同課長は、このような原告らに対し、同九時一〇分ごろ近藤総務係長をして、「こういうことをしてもらつては困る。」と注意させたこと、しかし、原告は、「わかりました。」と言いながらもこれに従わず、なおも印刷を続けていたこと、このような経過から、横山課長も、同九時一二分ごろ、原告らの側に行き、原告らに対し、「すぐやめて仕事を始めなさい。」と命じたが、原告らは、「一寸まつてくれ、そうやかましく言いなさんな。」等と反論し、同課長の、「だめです、すぐ仕事にかかりなさい。」との命令も無視し、結局、同九時二〇分ごろまで印刷を続けたこと、そして、原告は、引き続き右印刷したビラを、原告の机の上にあつた他のビラとともに同署一階事務室内徴収課及び間税課職員に配布して、同九時三五分ごろまで執務しなかつたこと、
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
ところで、原告は、前同様、組合ビラの作成は勤務時間内といえども当局から許容されていたし、また、組合活動として当然許されるべきものであるから、同月一八日のビラの作成及び配布は何ら違法でない旨主張するが、後記認定のとおり、右組合活動は許されるものではないから、右主張は理由がない。
以上のとおり、原告が、午前九時ごろから同九時二五分ごろまで組合活動を行つて全く執務しなかつた事実は、国公法一〇一条一項及び当時施行の人事院規則一四-一、三項に違反し、かつ、この間、同九時五分ごろ吉村係長から、同九時一〇分ごろ横山課長から繰返し執務するよう命ぜられたにもかかわらず、全くこれを無視して従わなかつた事実は、国公法九八条一項に違反し、これらがいずれも同法八二条一号及二号に該当することは明らかである。
2 情状事実について
原告は、本件免職処分説明書に記載されている情状事実は、再三の懲戒処分、職務怠慢及び執務命令違反であるから、右説明書に記載のない事実は、情状事実といえども主張しえないのはもちろんのこと、情状事実は、基本的処分事実を附随的に色付けする程度の質、量に限定されるべきである旨主張するのでこの点について検討する。
およそ公務員に対する懲戒の本質は、公務員の勤務についての秩序を保持し、綱紀を粛正して、公務員としての義務を全うさせるために、職員に職務上の義務違反その他公務員としてふさわしくない非行に対し、いわゆる特別権力関係に基づく行政監督権を発動して職員に制裁を科するにある。そして、その職員の非違行為に対して、いかなる制裁を科するかは、右懲戒権の本質、目的に照らして妥当と考えられる量定がなされるのである。この場合、懲戒処分が、非違行為者の特定の非違行為を理由としてなされ、かつ、右非違行為の評価が客観的になされなければならないことはいうまでもないが、もともと懲戒処分を科する対象は、非違行為を行つた行為者であるから、非違行為を評価するに当つては、これを行為者と切り離して独立にそれだけの評価として行うべきではなく、非違行為者の当該行政組織体における全生活態度の中の一行為として評価せざるをえないのである。
このような意味からすると、懲戒権者が、当該職員を懲戒するに当つては、懲戒に該当する一定の具体的非違行為を確定したうえ(以下、このような事実を基本的処分事由という。)、さらに右行為に関連してその処分までに行為者に発生した一切の事情(以下、附加的処分事由という)を考慮して相当と認められる懲戒処分を科すべきこととなる。
反面、懲戒権の発動に当り、公務員の身分保障と懲戒処分の公正を図ることも公務員法上の秩序維持の面から要請されるところであつて、処分時に被処分者に全く知らされない事実で処分することは右要請に背馳して許されるものではなく、この要請に基づき、国公法八九条一項は、「……懲戒処分を行おうとするときは、処分を行う者は、その職員に対し、その処分に際し、処分の理由を記載した説明書を交付しなければならない。」と規定し、いわゆる処分説明書の交付を義務づけ、もつて当該職員に処分事由を熟知させ、これに不服がある場合には、人事院に対する不服の申立(審査請求または異議の申立)等の機会(同法九〇条、九〇条の二)を与えているのである。このような立場からすると、処分説明書に記載を要する処分事由の範囲程度は、懲戒処分の基本的処分事由たる事実は、被処分者が如何なる事由で処分されたかを知り得る程度、換言すれば、事実関係の同一性を判別しうる程度において総て記載するを要し、基本的処分事由については、後日、右説明書に記載のない事実を処分の当否を争う争訟手続の過程で主張しえないというべきである。しかしながら、付加的処分事由、すなわち情状事実については、必ずしも総て記載を要するものでなく、後日における争訟手続の過程において、処分説明書に記載された事実について、より詳細に、かつ広範囲にわたつて具体的事実を摘示して主張することが許されるのはもちろんのこと、処分説明書に記載のない事実も主張することが許されると解するのが相当である。
したがつて、情状事実に関する原告の右主張は、採用することができない。
進んで、被告主張の情状事実の存否について検討する。
(1) 原告が担当する滞納租税債権につき、昭和三七年五月以降同三八年三月までの間において、八件の租税債権が時効により消滅したこと、被告主張のとおり、原告が過去三回にわたり、懲戒処分を受けたことは当事者間に争いがない。
しかしながら、右租税債権の消滅については、当時天王寺税務署において、租税債権の消滅時効の完成といつたことは絶無ではなく、また管理体制としては、滞納処分上、厳格かつ有効な時効完成発見体制が整えられていたともいえない状況にあつたし、右八件の租税債権のうち昭和三八年一月下旬に発見された五件については、吉村係長は、原告に消滅決議の指示をし、原告もこれに従つて決裁に回したが、何ら注意その他の処分も受けていないこと、その後、同年三月までに完成した三件の消滅時効についても、吉村係長ら職制はもとより、原告自身もその時効完成に気付かず、本件免職処分後になつて調査した結果判明したものであることが原告本人尋問の結果により認められる。もとより、租税債権の消滅時効の完成が、税務事務処理上ありうべきものでないことは論をまたず、かような意味で租税債権の消滅時効を国税当局が重視することも当然といえようが、前記の天王寺税務署の職場の実情からすると、後日になつて、原告にのみその職務怠慢の責任を負わしめることは妥当性を欠くものである。したがつて、このような租税債権の消滅時効完成の事実は、本件免職処分の情状事実として考慮するに価しない。
(2) <証拠省略>を総合すると、原告は、前認定の昭和三六年七月ごろ納貯係となつてから以降本件免職処分の事由(一)の行為のあつた同三八年三月までの間において、その勤務時間中、組合活動その他の用件で無断で離席することが多く、時には、それが長時間にわたることもあつて、この間執務を怠り、納貯係の事務処理においても、他の係員に比して著しく処理件数が少く、ために分担件数の平均化を図るべく件数の割替を実施しなければならないようにもなつたこと、また、原告は、前認定のとおり、職務上義務づけられている計画整理実績簿の日々記載を怠つていたこと、このように、原告の勤務状態は他の一般職員に比して不良であつたこと、そのため、吉村係長、横山課長ら原告の上司が、勤務態度を改め、勤務時間中は職務に専念し、命じられた職務を行うよう注意を与え指導してきたにもかかわらず、原告は、「私は意識的に仕事をしていないのだ、一般の人が仕事するレベルがここにあるとすると、私と同じレベルまで仕事をすると全体のレベルはここになる、すると必ずこのレベルを上げろ、と言われる、だから一人だけでも一般の人のレベルより低いレベルで頑張ることによつて全体の仕事のレベルはこのへんまで下る、労働者は最低労力で最高賃金を獲得することにあるから、私はそういう意味で仕事をしていない」「私が仕事をやるということは、小池、細川さんの仕事が目立たなくなる、だから私は仕事をしない」「私は労働者で、労働を売つているのだから、労働を高く売るのが当り前である、労働を如何に高く売るかということについては、サボるだけサボらなければいけない、サボるだけサボれば、それだけ労働力を高く売ることになるのだ」などと上司の指導を素直に受容れる様子が見られなかつたことが認められ、右認定に反する<証拠省略>はたやすく信用できないし、また、<証拠省略>(滞納額増減情況)には、右認定に反する記載があるが、右は、原告が、原告の計画整理実績簿(<証拠省略>)の中から滞納処理件数を集約整理したものであるところ、前認定のとおり、<証拠省略>の記載自体信ぴよう性を欠くものであるから、これを前提とした<証拠省略>の記載もにわかに措信しえない。
被告は、右期間内における原告の平素の勤務状況の不良事実として、百数十日に及ぶ職務懈怠及び数十回にわたる職務命令違反等を主張し、<証拠省略>(吉村嘉治作成の業務日誌)、<証拠省略>(同人の幹部手帳)には、右主張に副うような記載がなされている。そして、<証拠省略>によると、右業務日誌及び幹部手帳等は、吉村係長が、職場内の事務処理等に関し、日々記載していたものであるが、右業務日誌の記載を詳細に検討してみると、原告に関する記事のうち、その記載上、明らかに後日記入したと窺われる個所が、例えば、昭和三七年五月二二日記載の「行方不明」、同月二三日記載の「内〇・二不明」、同月二八日記載の「〇・二執委」、同二九日記載の「内〇・二組合」等を初めとして六十数個所に及び、また、吉村係長作成の右幹部手帳との記載を対比すると、例えば、同三八年一月一七日については、幹部手帳では全く記載がないのに、右業務日誌では原告は、一日中組合活動をしていたことになつている反面、<証拠省略>によれば、原告は、当日、半日の年次休暇をとつていることが明らかである。このようにみてくると、前記業務日誌及び幹部手帳の記載は、全てにわたつて、正確に記載されているとは思われず、その信用性にも疑問があり、したがつて、これらをもつて、直ちに被告主張のような詳細な数字的回数の違反を伴う勤務成績の不良があつたとまで認めることは困難である。
もつとも、<証拠省略>(原告の職員別給与簿)、<証拠省略>によれば、原告は、昭和三七年及び同三八年ともに定期昇給しているし、また、同三七年五月以降三月までの間において、当局が原告に対し給与法上の給与の減額処理を行つたことも認められないので、原告の勤務成績は、不良ではなかつたとみられなくはない。
しかしながら、<証拠省略>によれば、当時、天王寺税務署長は、前認定のような原告の勤務成績の不良を給与の減額処理などの方法で是正するのではなく、あくまでも日常の執務を通じて指導するよう努め、定期昇給についても、署長が昇給の内申をする時期になると、原告は自らの勤務態度を改めるかのような姿勢を示すので、署長も昇給させないようにとの上申をしなかつたものであること、その結果、原告の昇給発令が行われたことが認められるところである。
したがつて、原告につき、給与の減額処理が行われていないとか、定期昇給もしているからといつて、原告の成績が不良でなかつたとするのは早計であり、右事実も前認定を左右するものではない。
3 原告は、被告が本件免職処分の理由としてあげている基本的処分事由、情状事実の大部分は、原告が時間内組合活動をしたことを理由とするものであるが、右時間内組合活動は、当局も承認してきた労働慣行に基づくものであり、かつ、その必要性緊急性からみても当然許容されるべきであると主張する。
本来、国家公務員については、当時施行の国公法九六条一項が、「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。」同法一〇一条一項が、「職員は人事院規則の定める場合を除いては、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い、政府のなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。職員は、人事院規則の定める場合を除いては、官職を兼ねてはならない。職員は、官職を兼ねる場合においても、それに対して給与を受けてはならない。」同条三項が「職員は、政府から給与を受けながら、職員団体のため、その事務を行ない、又は活動してはならない。但し、職員は、人事院によつて認められ又は人事院規則によつて定められた条件又は事情の下において、第九八条の規定により認められた行為をすることができる。」と規定し、勤務時間中の職務専念義務と組合活動禁止の原則を明定している。そして、例外として、当時施行の人事院規則一四-一「職員団体に関する職員の行為」により、勤務時間中であつても勤務を要しない時間及びあらかじめ承認を得た休暇期間における組合活動と、勤務時間中の適法な当局との交渉を行う行為とが特に許容されているのである。このような法の建前からすると、国家公務員の勤務時間中の組合活動は、原則として禁止され、ただ団結権保障のため必要と認められる限度において例外的に許されているにすぎないのである。
しかして、右規定は、当事者の意思によつて内容を変更して適用されるべき性格のものではなく、当局の承認あるいは慣行があつたとしても、組合活動を禁止した右原則に対する例外と考えるべきものではない(もつとも、右の当局の承認あるいは慣行の存在も時間内組合活動の違法性自体を阻却するとまではいいえないにしても、当局が、当局の承認ないしは労働慣行に基づいて行われた勤務時間内組合活動の違法をとらえて懲戒処分の対象とし、懲戒権を発動することは信義則上許されない場合もあるといえよう。)。右規定を超えて、なお勤務時間内の組合活動が許容されるか否かは、憲法の団結権保障の趣旨と国の業務の正常な運営確保と公務員秩序維持の必要性との調和の立場から判断されるべきであつて、具体的には、その組合活動が組織の維持運営のため緊急かつ必要最少限度のものであり、かつ、実質上、国の事務の正常な遂行を阻害するに至らないものと認められる場合にのみ正当な組合活動として許されると解するのが相当である。
これを本件についてみるに、前認定の、基本的処分理由の対象とされた非違行為ないし情状事実として取りあげられた原告の勤務時間内組合活動が、組合の組織維持ないしはその活動上必要な行為であることは論をまたないが、後記のとおり、当時、全国税労組に対する組織介入の問題があり、また、天王寺税務署内において、職場内の労働条件につき当局と対立する問題を抱えていた時期であつたことを考慮してみても、前記原告のなした勤務時間内組合活動の内容が、勤務時間内にやらなければならない程緊急かつ最少限度必要な組合活動であつたとは、到底認められないし、その他本件全証拠を検討しても、右緊急かつ最少限度の必要性を認めることは困難である。
もつとも、原告が右勤務時間内組合活動を行つた当時、天王寺税務署においては、始業時間、昼食時間その他勤務時間内の私用の取扱の点で、多少厳格さを欠いていたことは、<証拠省略>により認められるところであるが、また、当時の事情として、天王寺税務署の管理者が、職員の福利厚生のために設けられた施設を利用するに当り、できる限り多くの職員にこれを利用させようとの見地から、食事、散髪等の施設の利用が、若干勤務時間にわたつてもやむをえないと考え、これを黙認してきたことは、<証拠省略>に徴して明らかであるから、当時、勤務時間内における就業の態様に厳格さが欠けていたことをもつて、直ちに原告のなした前記勤務時間内組合活動の正当性を理由づけることには、にわかに左袒しえないところである。
次に、原告主張の労働慣行についてみるに、<証拠省略>によれば、天王寺税務署においては従前、分会の組合ビラの作成(署の謄写版を使用)、配布、短時間の執行委員会等は勤務時間内に行われており、当局側も勤務時間内の執行委員会開催については、これを聞知すれば一応注意を与えてきたが、実力その他の方法により強硬にこれを阻止するまでには至つていなかつたこと、しかし、昭和三四、五年ごろから、勤務時間内組合活動に対する当局の禁止態度が表面化し、同三七年ごろには、勤務時間内組合活動を禁止するよう強く指示を繰返すようになつたこと、そのため、分会でも、同年九月ごろ勤務時間内執行委員会開催を中止したが、ビラの作成、配布等については、当局側の注意を無視して続けていたこと、当局側も、勤務時間内のビラの作成、配布といつた行為については、右のとおり一応の注意を与えていたが、これを実力で阻止したり、本件免職処分まで懲戒処分の対象とすることはなかつたことが認められる。
右事実からすると、勤務時間内組合活動のうら、執行委員会の開催は、当局から厳重に禁止され組合もこれに従つたものの、ビラの作成、配布については、当局が、従前これを黙認もしくはその禁止を指示しても、その態度がゆるやかであつて、必ずしも積極的にこれを禁止しようとする意図があつたかどうか疑わしいことは窺えても、それを越えて、当局が承認した労働慣行が存在したとまでいうことはきわめて困難である。
右にみてきたところによれば、前認定の原告のなした勤務時間内組合活動が労働慣行に基づくものであり、かつ、緊急性必要性からみて当然許容されるべきものであるとの原告の主張は理由がない。
4 以上のとおり、本件免職処分には、処分理由不存在の違法はないといわねばならない。
三 原告は、被告が本件免職処分をなした真意は、原告が、所属する全国税労組の幹部の地位にあり、かつ活発な活動家であつて、それ故に原告に対し不利益取扱をし、ひいて全国税労組の団結権を破壊し、活動全体を抑圧することをねらつてなされたものである旨主張するのでこの点について判断する。
<証拠省略>を総合すると次の事実(一部争いのない事実を含む)が認められる。
(1) 昭和三七年五月ごろ、関東信越国税局管内で、同局、管下各税務署の係長、課長等が中心になつて全国税労組に対する組織介入が行われたのを始めとして、以後、順次全国各地の国税局管内に波及していつたこと、右組織介入は、職制らが、全国税労組に加入している場合は自ら同労組を脱退するのはもちろんのこと、部下職員に対しても、「配転なり将来の保障をしかねる」「残つていたら今までいわなかつたこともいわないかんようになる、やかましくいわんならん」「縁談にもさしつかえるだろう」「組合をやつておつたら得はしない、仕事を人並にやつておつても年一回の定期昇給すらストツプされる、それでいいか」「上から言われてわしの立場がつらいんだ」等と全国税労組からの脱退を呼びかけ、第二組合結成の動きをしめしたこと、そのため、全国税労組から一日に一職場で数十名の大量脱退も出るなどしたこと、大阪国税局管内においても、昭和三八年四月ごろから、右同様の手段で、職制らによる全国税労組からの脱退勧誘が行われ、管内の各分会で大量の脱退者が出たこと、その結果、全国税労組の全組織人数は、昭和三七年初めに約一万九、五〇〇名であつたのが、同年八月約一万二、〇〇〇名、同三八年初約八、〇〇〇名、同年末約五、八〇〇名に、同労組近畿地方連合会の組織人数は、昭和三七年末に約四、七〇〇名であつたのが、同三八年六月に約二、〇〇〇名、同年末約一、一〇〇名に、さらにその傘下の同天王寺分会、西成分会、堺分会のそれも、同三八年初ごろそれぞれ七五名、一一二名、九一名であつたのが、同年末にはそれぞれ九名、二九名、三〇名に、各激減したこと、このような職制による全国税労組員に対する脱退勧誘運動が、同労組に対する当局からの組織介入であるとして昭和三七年の国会(参議院社会労働委員会)でも取り上げられ、ために、国税庁長官は、昭和三七年一一月六日付官総一-二八〇をもつて、「一、国家公務員には、労働組合法七条に相当する不当労働行為禁止規定はないが、国家公務員法九八条二項により職員団体の結成が認められている趣旨にかんがみ、管理者が職員団体の適法な活動に不当に介入することは条理上不穏当であること、二、管理者が、税務行政の遂行上または職場秩序を維持するため職員団体の違法または不当な活動に関してこれを批判し、または所要の措置を講ずることはその職責上当然であること」とする通達を発し、職制の組織介入に警鐘を与えたこと。
(2) 一方、原告は、昭和三〇年八月当時、生野税務署に勤務していたが、そのころ、生野税務署職員労働組合が結成されるや、当初からこれに加入し、活発な組合活動を始めたこと、そして、同年一〇月から同組合執行委員に選出され、組合の中心的活動家として活動を始めたが、同年一二月に単一体組織の大阪国税職員労働組合が結成され、生野税務署職員組合がその支部となつてからも、原告は、支部執行委員及び第一地区協議会執行委員として活動してきたこと、それ以降原告は、本件免職処分時まで次のような組合役員に就任したこと、
(イ) 昭和三一・年八月から同三二年七月までの間
大阪国税職員労働組合生野支部書記長
同労組第一地区協議会執行委員
(ロ) 昭和三二年八月から同三三年一二月までの間
同労組東成支部書記長
同労組第一地区協議会執行委員
(ハ) 昭和三三年一二月から同三五年七月までの間
全国各地の国税職員労働組合が、全国税労組に単一化されたことにともない、
全国税労組東大阪支部東成分会書記長
同労組同支部執行委員
(ニ) 昭和三五年八月から同三六年七月までの間
同労組天王寺分会執行委員
同労組東大阪支部執行委員
(ホ) 昭和三六年八月から同三七年七月までの間
同労組東大阪支部書記長
(ヘ) 昭和三七年八月から同三八年八月までの間
同労組天王寺分会書記長
このように、原告は、同労組の中心的立場にあつて組合を指導してきたが、天王寺分会においても、同分会の中心となつて活動していたこと、そして、(イ)昭和三七年七月の定期異動の際、天王寺税務署平岡総務係が、兵庫県加古川市方面に転勤を命ぜられたが、同人の住所が奈良県にあつて、新勤務地には二、三時間の通勤時間を要し、通勤が不可能であること、そこで同分会ではこれを不当配転であるとして署長交渉をし、平岡総務係についてはできる限り早急に通勤可能な地域に転勤させること並びにこれまで転勤は一方的発令が多く、一旦発令されるとこれを撤回しない状況にあつたので、同署においては将来不当配転の場合は辞令を押しつけないという約束をさせたこと、(ロ)同年七月から八月にかけて、当局は徴収係と納貯係の出張予定簿の記載について従来の記載方式を改め、詳細な記入をするよう変更通知してきたが、天王寺分会では、原告らがこれに反対し、結局、国税局の指示よりは相当簡単な記載内容でよいとの約束をとりつけたこと、(ハ)ところで、同年七月ごろ、当時、国税局側は、職員のこれまでの給与の損失是正は全て終了したとの立場に立つていたのであるが、原告らを中心とした天王寺分会では藤木署長に具体的事例を示して給与の損失是正が終了していないことを説明して交渉した結果、同署長に職員一人ひとりについて事情を聴取し調査する旨を約束させ、現実に、署側より一部その調査が行われたこと、(ニ)さらに、前認定のとおり、天王寺税務署における旅費の配分は、従来均等配分を原則としていたが、昭和三八年一月、その年度の旅費の増配がなされ、職制は平均約金八、〇〇〇円、一般係職員は平均約八〇〇円といつた差別配分がなされようとしたことに天王寺分会が反対し、原告が中心になつて、全職員均等配分を要求して当局と交渉し、結局、同分会の要求どおりの配分がなされたこと、
以上の事実が認められ、右認定に反する<証拠省略>はたやすく信用できないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右事実を総合すると、原告が、組合の中心的活動家であり、当局に対し、諸要求を掲げて活発な組合運動を展開していたことが明らかであり、したがつて、この意味で、当局側が好ましい人物と考えていなかつたことは優に推知しうるところであるが、このことから直ちに、原告を職場から排除するなど不利益に取扱うとする意図があつたとすることは、いささか早計にすぎようし、また、原告の上司である吉村係長らが、前掲業務日誌、幹部手帳等に原告の日常行動、勤務状況等を記載していたことは前認定のとおりであるが、これは、一面では、原告の日常行動を監視していたと解しうる余地もあろうが、反面、その記載は、原告のみならず、他の職員の行動にも触れ、当時の職制が部下の勤務状況、態度を把握するために記載したものともいえるので、右事実をもつて、当局が、原告を落し入れるために職制をしてその行動を監視せしめたと即断することは困難なことであろう。
もつとも、右に指摘したような事実に、本件免職処分の発令された時期が、前認定のとおり、国税の職場において、職制を中心とした者が、積極的に全国税労組への組織介入をし、その切り崩しを図り、実際にもその効を奏しつつある時期であり、このような時期に、被告が、組合活動家である原告を違法な組合活動をも理由の一にあげて本件免職処分を発令したことは、被告に原告の組合活動を理由とする不利益取扱いの意思の存在を疑わしめる素地は残るであろう。
しかしながら、本件免職処分は従前から当局が承認していた行為ないしは労働慣行として認められていた行為を理由とするものではなく、また原告において基本的処分事由とされた職務専念義務違反、職務命令違反行為のあつたことは前認定のとおりであるし、その非違行為の態様をみると、原告の行為は、組合業務を優先させるあまり、なすべき職務を遂行しようとする意欲を欠き、かつ、上司の存在やその命令を無視しようとした態度に基因するものというほかなく、このような原告に対し、右非違行為の中止を求めて、上司から再三にわたる注意警告がなされたが、その効を奏さなかつたことが認められるところである。
加えて、原告は前認定のように過去三回にわたつて減給、戒告等の懲戒処分を受けているのであり、右各懲戒処分理由とされた事実は、本件免職処分理由の事実とその性格が若干異るとはいえ、いずれも上司ないし上級者の指示あるいは命令に反抗したことに基因した非違行為であり、右三回の懲戒処分のうち最後の処分を受けた時(昭和三五年七月九日)より一年を経過するかしないかの昭和三六年七月ごろからは、原告の勤務態度は不良であり上司の指導にも反抗する態度があつたことは前認定のとおりであり、そして本件の基本的処分事由とされた各非違行為に及んだというのであるから、このような原告に対しては、もはや免職処分以外の処分をもつてその勤務態度を改めさせるようなことは困難であると被告が判断したことは、容易に首肯しうるところであるし、また公務員の綱紀の粛正と職場秩序維持を図る意味からしても、このような非違行為者を排除すべき理由と必要性は十分に存するものといわねばならない。
以上のような点からして、本件免職処分につき被告に原告の組合活動を理由とする不利益取扱いの意思の存在等を疑わしめる素地を否定しえないとはいえ、結局は、本件免職処分はもつぱら公務員法上の秩序維持のためになされた止むを得ない処分であつたと言うべきであつて、原告が主張するような労働組合活動を理由とする不利益取扱、労働者の団結権侵害の事実を肯認するに至らない。この点に関する原告の主張は採用することはできない。
四 原告は、本件免職処分は公平公正の原則に反するものであり、またその裁量権の範囲を超えて濫用に当る場合であると主張する。
しかしながら、本件免職処分は、原告が主張するようにごく短時間の勤務時間中の組合活動のみを理由とするものでなく、また従来の慣行や実情に反したものとはいえず、原告の職務専念義務違反、職務命令違反等の事実その他の情状からして止むを得なかつたものと言うべきであることは、上来説示したところであり、後記の斉藤徴収官に関する事実を考慮しても、本件免職処分が公平公正の原則に反するとは認められず、むしろ妥当なものであつたと断ぜざるをえない。
また、原告は、本件免職処分が懲戒権の濫用に当ると主張し、その事例として、斉藤徴収官の勤務時間内活動とその処分をあげているが、仮にその事例が主張のとおりであるとして、原告の非違行為とこれを比較すると、原告の各非違行為における勤務時間内組合活動時間はいずれも斉藤徴収官の八時間には及ばないことは明らかであるが、その回数、行為者の態度をみると、同徴収官のそれは一回で、かつその行為の途中で警告を与えられたこともないのに反し、原告のそれは数回にわたつて行われ、再三の警告にもかかわらずこれを無視して非違行為を継続しており、このような非違行為の態様を比較すれば、原告のそれは、斉藤徴収官のそれと質的に相違し、きわめて悪質なものといつても過言でなく、これに前認定の職務命令違反等の非違事実を加えると、斉藤徴収官が原告より上席でありながらその処分が訓告処分であつたとしても、それとの比較において原告の本件免職処分が妥当性を欠く不相当なものということはできない。
そして、そのほか前認定の本件免職処分理由とされた非違行為の態様、違反の程度等諸般の事情を考慮しても、本件免職処分が、裁量権の範囲を超え、あるいはその濫用にあたるとは到底認め難く、他に原告の右主張を認めるに足る的確な証拠もない。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
五 上来説示してきたとおり、被告が原告に対してなした本件免職処分は適法であつて、これに原告主張の違法は認められないからその取消を求める原告の本訴請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石井玄 田畑豊 窪田正彦)